信用金庫に入社(入庫)した理由 独立に至るまで①
今回は、自分語り回です。
私が信用金庫への就職を決めた理由、どのような業務をやってきたのか、信用金庫に就職するメリット、なぜ中小企業診断士として独立したのか、などを書いていきたいと思います。
また、以前今後の銀行業界の将来性に関する記事を書いたので、ご参考までにお読みいただけると嬉しいです。
1.就職活動
私は、2005(平成17)年に入社しました。就職活動は2004年の年初から本格スタートし、5月には終えていました。
ググってみると、就職氷河期最後の年だったみたいです。
体感的にも厳しかった思い出があります。
とにかく私は「ポジティブ」な考えで、就職もどうにかなると思っておりました。
まず「マスコミ」関係から面接が始まり、テレビも新聞も大して見ないのに、受けに行ってました。
あちら側にしてはいい迷惑ですね。
当時はテレビ局・広告代理店・新聞社といえば、もう間違いのない超人気企業でしたからね。
業界の勉強もせず、記念受験みたいなものでした。
ただ、面接というアウトプットを通して、どのように就職活動に臨めばよいかを掴めた気がしました。
2月くらいから次の「金融」関係の面接が始まってきました。
生命保険、損害保険、カード会社、証券会社、銀行、など毎日のように面接に行ってました。
ただ、初めは業界勉強もせず、カード会社がどうやって儲けているのかも知らず、生命保険会社の面接でひたすら「ディーラー(運用)になりたい」と言ってました。
惨敗続きながら、あまり焦りはなく、東京や新橋・新宿で面接の帰りにスロットを打ってました。
当時、北斗の拳や吉宗という物凄く中毒性の高い台があり、スロットばかりやってました(笑)。
惨敗しながらも、なぜ駄目だったかを考え、業界の勉強もし、だんだんと内定を得られるようになりました。
メガバンクは全滅でしたが、大手生命保険会社、大手証券会社、そして後に勤めることになる信用金庫から内定を貰った時点で、就職活動を辞めました。
地元の雄、横浜銀行もダメでした。これは少し理由があり、いつか話したいと思います。
とにかく早く就職活動を辞めたかったのです。
なんだかんだ、100社近く受けて、否定され続けるのはきついですよね。
2.信用金庫に決めた理由
そして、大手生命保険会社、大手証券会社、信用金庫の3社から、就職先を選びます。
まず、生命保険会社についてです。
当然全国転勤です。まず私は、この全国転勤が正直嫌でした。
環境変化や移動が嫌だったのです。今なら全然前向きに、むしろ全国まわりたいくらいなのですが。
プラス、生命保険会社は、自分自身での営業ではなく、いわゆる「生保レディ」の統括みたいな仕事でした。あまり気が進みませんでした。
次に、大手証券会社です。こちらも、当然全国転勤です。
内定は、リテール(個人営業)で貰いました。
これが当時調べた時は、激務・離職率が高いと、あまり良い印象はありませんでした。その分結果が出れば収入はよくなるみたいでしたが、まだ一度も営業をやったことのない学生にとっては、分からないですよね。
自分の営業力の有無なんて。
ただ、やはり条件面は魅力的でした。
最後に信用金庫です。
何より、転居を伴う転勤がないのが魅力的でした。
また、仕事内容が非常に魅力的でした。
地元の中小企業の経営者と直接色々な話をし、融資をする。営業はいわゆる「どぶ板営業」で、自転車やバイクで回る。
私はポジティブに、どぶ板営業=回転率が良い=1日に多くの経営者と話せる機会がある、と捉えてました。
あとは条件面ですが、さすがに一部上場企業に比べたら見劣りはしますが、かなり良かったです。
最終的に証券会社と信用金庫で迷い、気持ち的には信用金庫に傾いていました。
最後に当時の「2ちゃんねる」で、あなたならどうする?みたいな感じでスレッドを立てて、信用金庫が7割を超えたので、信用金庫に決めました。人生舐めてますね。
それほど最初の就職にこだわっていなかったのも事実です。
「気に入らなければやめればよい」くらいに考えてました。
今なら当たり前ですが、終身雇用のもと定年退職まで働く気はありませんでした。
3.入庫するまで
こうして、2004年5月に信用金庫へ入庫することを決め、就職活動をやめました。
そして、卒業するまではひたすらバイトをし、スロット・競馬ばかりやってました(笑)。
実家住まいだったのですが、ろくに家にも帰らず、漫喫に泊まることも多かったです。
家に帰って寝るのがもったいないと思うくらい、ひたすら遊んでました。
ただ、ここで1度大きなミスをしてしまいます。
7月に内定者の集まりが「横浜ベイシェラトン」であったのですが、思い切り遅刻しました。
当時の人事部の方からの電話で起き、すぐに原付で向かいました。
そして、入庫前に役員全員に謝るということをしました。
着いて役員に謝り終わるころには、懇親会も終わっており、同期同士で既に次の飲み会の予約をしており、「参加したい」と伝えたところ、「ごめん、もう一杯なんだ」と断られました。
まぁ、いきなり遅刻して役員に謝ってる人と関わりたくないですよね。
その日はすぐに横浜のスロットへ向かいました。
そのあとは、特に大きな動きもなく、無事に2005(平成17)年4月に会社に入ることになりました。
4.最後に
次回続きを書いていきます。具体的な信用金庫の仕事について、それに伴う私の心境の変化を書いていこうと思います。
「すぐに辞めればよい」と思っていましたが、「この会社で一生働いていきたい」と思うようになります。
しかし最終的に独立することになりました。そのあたりを書いていきます。
最後に、信用金庫業界は面白いと思います。
もし就職を考えている方は、あまりネットの情報だけを信じず、是非そこに勤める先輩方のリアルな情報を聞いてみることをお勧めします。
経営者と直接話せる機会は、そうそうない貴重な経験です。
そして「財務」というその会社そのものとも言える分野に関わりを持てる業界もそうそうありません。
中小企業診断士・経営コンサルタントとして独立するにあたり、本当に貴重な15年間だったと思います。
その具体的内容を次に書いていきますので、是非次も読んで下さい。→続きはこちら
ちなみに、ギャンブルは最初の1年でやめてます。