信用金庫に入社(入庫)した理由 独立に至るまで②

 前回からの続きです(前回は→こちら)。

 前回は、就職活動から入社までのお話をさせてもらいました。

 今回は、信用金庫でどのような業務を行ったのか、どのような心境であったのか、自分が信用金庫でずっと生きていこうと思ったところまでお話ししたいと思います。

 また、以前銀行業界の将来性について書いた記事があるので、是非読んで頂ければ幸いです。

 

1.入社してから営業課になるまで

 私は、2005(平成17)年4月に、信用金庫へ入社しました。

 正直、それまではバイトの給料が口座に入り、それをキャッシュカードで出金する、ということくらいしか金融機関との関わりはありませんでした。

 まず私は、駅近の店舗に配属となり、出納という現金の入金・出金などをする係となりました。

 これが、本当につまらなかったです。

 1か月後には辞めたくなってました。

 何でもはっきりと言ってしまう性格なので、当時の先輩に「くっそつまんないですね。高校生のバイトでもできる仕事ですね。」と言ってました。

 嫌な顔をされ、「現金の重要性を学ぶために必要」「現金を扱う仕事はバイトには任せられない」などと言われましたが、これはいまだに納得できてません。

 現金の重要性など誰でも分かるし、簡易な業務はどんどん労働単価を下げるべきである、と普通に今でも思ってます。

 大したことない仕事を、大げさに見せたがる傾向があるんですよね。

 ただ、意外とミスするんです(笑)。

 「1円でも合わないと帰れない」というのは本当で、結構帰れない日を作ってしまいました。

 そのせいで、先輩の飲み会をキャンセルさせてしまったこともありました。

 ですが、まぁ、とにかくつまらなかったです。

 何とか4か月くらいで次の「融資課」へジョブローテで変わることになり、助かりました。

 融資課では、接客よりも契約書のチェック融資の実行(入金をすること)などの事務をやってました。

 面白かったですね。

 とにかく新しい知識が日々積みあがっていく感じが楽しかったです。

 実際にお客様と話す機会も出てきはじめ、融資の受付をし、稟議書を作ったりと日々充実してました。

 そして、2006年2月に「営業課」へとなりました。

 ここから、途中半年間の融資課、3か月間の社外研修への派遣、以外は2018年12月までずっと営業をやってました。

2.営業、ひたすら営業

 キャリアの大半を過ごした「営業課」ですが、これが非常に面白かったのです。

 自分自身が関与した会社、部下と一緒に関与した会社など、全てあわせれば1,000社以上の会社に余裕で関与してます。

 関与といっても決して浅い関与ではなく、決算書から財務分析をし、提案を実施した会社です。

 肉屋、魚屋、花屋、建設、不動産、リース、ネジの製造、車部品の製造、電子機器の製造、飲食店、など多くの業種の経営者と直接話をする機会がありました。

 業種を言ってしまうと特定されてしまうかもしれない、ニッチトップ企業などもありました。

 規模も社長一人の会社から数百人規模の会社まで多岐に渡り、本当に良い経験ができました。

 営業を始めたばかりの頃は、個人の積立の集金などをやりながら、比較的小規模な会社の担当をしてました。

 会社の振込や税金を預かりながら、融資を提案するという形です。

 当初は、自分に営業力があるのかどうかも分からないし、これといった武器もなく、悩むことが多かったです。

 しかしながら、商品知識をしっかりと付け、分からないことは勉強し、それを継続していくうちに、自分の提案に自信が持てるようになっていきました。

 気づけば、そこそこ営業ができるようになっていました。

 もともと要領は悪い方ではなく、人の半分の労力で人並み以上の成果を出すことばかりを考え、人並み以上の成果が出ることが分かった段階で、無理をせず適度に仕事してました。

 とにかく「忙しい」という状況をなるべく作らないようにし、常に余裕を持つことを心がけていたため、自然と仕事も集まってくるようになりました。

 2005年の入社から、2008年まで景気も良く金利も上昇傾向にあり、融資の経験をどんどん積むことができました。

 しかし、2008年に「リーマンショック」が来ました。

 当時私は、営業課から融資課に半年間戻っている最中で、とにかく督促・代位弁済の手続・リスケの受付、実行をしていました。

 好景気とどん底を経験し、2店舗目へ異動します。

3.転機

 その後、2店舗目でそこそこの仕事をこなし、東日本大震災で更に景気のどん底を経験したのち、アベノミクスによる好景気を経験します。

 2店舗目は小さい店舗だったのですが、そこで直属の上司と支店長から、比較的好きにやらせてもらい、かつ困った時には助けてもらえるという環境があり、成果を上げることができました。

 アベノミクスの好景気の時には、3店舗目へ異動しており、営業のNO.2である副課長になってました。

 比較的大きな会社の担当となり、かつ若手の育成もするようになっていきました。

 ここで、実務から得られる知識・経験に限界を感じ始めました。

 そこで、社内の研修制度で「日本生産性本部」の「経営コンサルタント養成講座」への参加に応募し、参加することとなります。

 日本生産性本部は、中小企業診断士の養成課程もやっているので、有名ですよね。

 そこへ3か月研修へ行き、全国の地銀・政府系金融機関・メーカーの方と共に過ごしました。

 ここで、中小企業診断士試験の、「企業経営論」や「運営管理」と同等の知識を学びました。

 そして、実際の企業へ実習へ行き、生産性向上の提案などをプレゼンしました。

 他の企業の方々との出会いも大きかったです。特に、某食品メーカーの方は今まで自分の周りにいなかったタイプの非常に優秀な方で、機会があればまたどこかで一緒にお仕事をしたいです。

 この経験がまた大きく自分を変えることになり、より深くお取引先の企業に関与することができるようになりました。

 そうなってくると、楽しくて仕方ありません。

 今まで以上にお客様を理解でき、尊敬でき、日々学習でき、成長できる、そのサイクルがぶん回ってました。

 この実際の「コンサル経験」が私にとって大きな転機となりました。

 また、3店舗目のメンバーが最高でした。

 今でもこの時のメンバーの中の後輩二人とはよく連絡を取ってます。

 

4.信用金庫へ全てを捧げよう

 このような経験を経て、そこそこ実績も出していたので、2014年に4店舗目の異動で営業課長になりました。

 やはり、直属の部下はよいものです。

 店の成績が上がっていくのもそうですが、部下の成長が何より楽しかったです。

 それとともに、関与する会社の数も増え、できることも多くなり、感謝されることもどんどん増えていきます。

 地域に貢献できているという感触が強くなっていきました。

 この時には、仕事にやりがいを感じており、地域のため、部下のため、会社の将来のため、全てを捧げようと思っていました。

 転職など頭になく、何度も外資系生命保険から連絡がありました(信用金庫にいると、意外と外資系生保からのヘッドハンティングがきます)が、全く考えられなかったです。

 

5.最後に

 今回はここまでで一旦区切らせていただきます。

 どうでしょう?

 信用金庫、悪くないと思いませんか?

 本当にいいんです。狭い地域の中で1,000社以上に関与できるなんて、他業種ではそうそうできないことです

 業界分析では、「将来性がない」と判断されてしまうことが多いかもしれません。

 しかし、それは地域によると思いますし、地域において独自性を出すことができれば、さらに成長することも可能かもしれません。

 一旦就職し、思い切り学んだあと、嫌なら転職すればいいんです。現在のビジネスモデルでもあと10年はいけると思います。

 この「10年はいける」という考え方自体は大嫌いですが。

 優良と言われている信用金庫であれば、給与水準もかなり高いですし。

 しかし、私は離れることを決意しました。それはまた次回記事に致します。

 (前回は → こちら   次回は → こちら

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