信用金庫に入社(入庫)した理由 独立に至るまで③
前回は、営業という仕事を通じて、地域のため・部下のため・会社の将来のため、全てを捧げようと思ったところまででした。
今回は、なぜ独立という道を選んだのか、という点にスポットをあてお話しします。
ただし、あくまで私の主観であり、かつ昔の話です。
良いところもあり、また私にとって悪いところもあったので、辞めるという選択になってます。
ですので、今回は「私にとって悪かったところ」が中心となってしまいますが、良いところは以前まで述べてきたよう多くあります。何度も言いますが主観です。
以前、銀行の将来性について書いた記事があるので、読んでいただけると嬉しいです。
目次
1.上司との対立
営業課長として5店舗目へ異動しました。
これまでは、比較的好きにやらせて貰える環境にあったものの、この店では若干違いました。
まず、私は他者の感情に敏感です。
最近の言葉でいうと、いわゆる「繊細さん」だと思います。
営業で他者の表情を見ながら、微妙な変化、どのような感情にあるか、など物凄く注意してます。
あくまで主観ですが、最初から良いイメージがなく警戒されてました。
当然(?)私も反抗します。
自然と対立してしまったというのが正しいかもしれません。
私が優先していたのは、顧客の成長と部下の育成です。
部下育成は、多様性を考慮し、徹底的に強みを伸ばすことを意識してました。
誰しもが強みを持っていて、それを伸ばすことでオンリーワンになれる。逆に、弱みももちろんありますが、そこは周りがフォローすればいいんです。弱みを打ち消すというのは並大抵の努力ではできません。それよりは、強みを徹底的に伸ばすべきだと思います。中小企業が生き残る戦略もそれですよね。
誰かのようになる、営業はこうあるべき、という指針は多様性を拒絶し、画一的なモデルを作り上げることです。
私はこれを良いことだと思いません。
一方で、上司は「マイナス」を嫌います。マイナスがある人間を否定します。マイナスは周りがカバーすればいいし、またマイナスの部分を努力でプラスにできるとは限りません。徹底的にプラスの能力を更に伸ばし、できることをどんどん任せればいいんです。
こうした部下育成の面でまず衝突しました。
次に衝突したのは、上司の考える「別の優先事項」が私にとって共感できるものではなかったからです。
それが、更に上である「本部」の顔をうかがう、ということでした。
ただ、これは当たり前のことだと思います。保身、組織への忠誠心を示す上で、当たり前です。そして、出世している人のロールモデルがこれだからです。
一方これでは、いつまでたっても現場が成長しません。最終的な意思決定権が現場にないので、現場にどんどん権限委譲をしていくべきであり、現場で判断できることを増やしていくべきだと思ってました。
そして、現場での決定は押し通すべきだと思ってました。
理解はできるものの、納得できないことが続き、どんどんと溝は深まっていきました。
2.過剰なストレス
いつしか、慢性的なストレスから、自分自身も攻撃的な性格になっていきました。
口を開けば文句ばかり、自分が変われば状況は改善できるかもしれないがそれもできない。
眠れないことも多くなり、睡眠薬を処方してもらうようになってました。
一方で、成果はきっちりと出してました。ただ、少しでも数字が落ちると一気に低い評価を付けられてました。
ここで、私はもう人事評価を気にしなくなります。というか諦めます。
そして、組織全体への不満も大きくなっていきました。
世の中が物凄い勢いで変化していく中で、大きな変化をしなければならないのに、小さなことにこだわっている。
素早く変わっていかなければならないのに、スピード感がない。
最低限の知識を身につけるべきなのに、それをしない。変な知識を付けさせようとする。
などです。
継続的に情報をアップデートし、勉強により知識をアップデートしていると思える人が少なく、自分自身の中の常識がどんどん変わっていく中で、変化できない・変化の明確な方向性を示せない組織に苛立ちを覚えるようになっていきました。
5店舗目の後半においては、仕事に対する情熱もかなり冷めてしまっていました。
3.新たな野望
このような中で、私は新たな目標を持つようになります。
それが「組織を変える」ことです。
今入ってくる新入生に、30年後のビジョンが示せるよう、組織を変化させようと思うようになりました。
理想的な組織を思い描きながら、仲間を集めていこうと思ってました。
そんな時、異動となります。
「本部」の「融資部」という部署へ異動となりました。
業務は、各支店の財務内容が悪化した会社の経営改善をする、というものでありそれ自体はよかったです。
一方、この部署への異動がきっかけで、辞めることを決意します。
まず、組織を変えることは無理だと悟りました。
何度も言っておきますが、以下私の主観です。
1つは、権力を持っている40代後半から50代半ばくらいの人達の「自分たちの定年までは大丈夫だな」という声を聴いてしまったことです。
組織を私物化し、自分の保身しか考えていない最低な発言です。
例え冗談でも、私がいる場で言うべきことではありません。
そして、権力の中核であるこの人たちに、リスクを背負ってもらい変化をすることへの意思決定をしてもらうことが無理だと思いました。
また、2つめは本部から全職員を見られるようになり、同年代・年下も変化を嫌うと思った点です。結局は現状維持という選択が大多数を占め、多数決では変えられないと思いました。
私はここに関しても、かなりがっかりしました。
上もそうですが、下もです。勉強をしない。チャレンジをしない。
悪い文化をそのまま疑問を持たず継承する、などです。
そして3つめは組織の風土・文化が身近で見えてしまった点です。
官僚制の逆機能(すごく分かりやすい説明があったのでリンク貼っておきます→こちら)、組織硬直化、変化・リスクテイクを嫌う風土などです。
本来は小規模な組織なので、世の中がこれだけ変化している中、意思決定を迅速化し積極的に変化すべきです。
しかし、周りが変化したあとに追随すればよい(今まではそれでうまくいっていた)、という風潮がありました。
また、信用金庫は株式会社ではありません。詳細は省略しますが、ガバナンスが働きづらいのです。
株式会社でないことを良いことであるように思っている風潮があり、それは否定しません。
しかし、当然悪い面もあるのです。当時は、悪い面の方が大きくなっている気がしました。
株式会社は、株主のため・株価のため、一時的な出血を伴いながら、変革への道筋をしっかり見られている気がします。
リストラ敢行のメガバンクや、合併・業務提携の地銀ですね。
一方、ガバナンスが働いていないと、そのような変化がスピーディーにできません。
都合の悪いことは後の世代に先送りし、とにかく自分たちの代は無理しない、という風潮になりやすいためです。
経営に関与できる人も身内ばかりで、世代もリタイア寸前世代ばかりなので、正直外部からの強制的な圧力が必要だと思ってました。
今の素早い変化が必要な状況で、ガバナンスの問題は非常に大きいと思いました。
おそらく、カリスマ的な人が、人望を集め、積極的に意識改革に取り組み、長い年月をかければ変化させることが可能かもしれません。実際にそれをやってくれそうな人が今でもいます。
しかし、自分にはそれはできないし、社内政治的なことに自分の貴重な人生を費やしたくありませんでした。
こうして数年に渡り悩む時期が続き、「中小企業診断士試験」を受けることになりました。
目的はキャリアアップでしたが、この勉強を通じ、独立への想いが湧き、どんどん大きくなっていきました。
4.独立へ
「嫌われる勇気」の本紹介で書いたよう、迷っていた独立への気持ちは、前向きなものへと変化していきました。
そして、「そもそも自分は何をしたくてこの会社に入ったのか」ということも考えました。
それは、「中小企業の経営者と話をしたい」ということです。
それを通じ、次に「顧客成長、地域活性化」という思いに繋がっていきました。
これらが目的であれば、何も組織にこだわる必要はありません。
独立すれば、部下だけでなく、今金融機関で働いている人、これから金融機関で働く人に対し、幅広く情報提供をできます。
また、会社の将来性という面でも、私が独立してやりたいことと、会社の経営理念はほぼ共通しており、同じベクトルで進むことができます。僅かながら外部から支えることもできるかもしれません。
こうした思いから、独立を決意しました。
5.最後に
今回は、どうしても「会社を辞めて独立する」という話なので、否定的な意見も多くなってしまいましたが、私が得たものは断トツでプラスの方が多いです。
今でも組織の中で、必死に地域のためにどぶ板営業をしている人たちがいます、一生懸命変化をさせようと頑張っている人も大勢います。その声を拾い上げようとする経営陣もいます。いつか、これらの真っ当な方々の意見が素早く反映され、唯一無二の組織になれると信じております。
人の気持ちを変えることはできませんが、自主的に変わることはできます。いつか、私の前で「自分たちの定年までは大丈夫だな」と言っていた人たちが、30年後の新入生のために動いてくれると信じてます。
私のことを良く思っていない人もいたかもしれませんが、今となっては全ての方々に本当に感謝してます。
直接的に衝突してしまった方々もいます。素直に申し訳なかったという想いと、感謝の想いがあります。
立場における姿勢に対してのみ批判的な態度を取ってしまっていただけです。
そして、独立してからも同じ地域で、同じ目標を持ち、同じ目線で、中小企業の援助・地域活性化に取り組んでいきたいと思ってます。
信用金庫・地方銀行への就職を考えている方、または就職を決めたが本当に良かったのか悩んでいる方、今のこの時代だからこそ、信用金庫・地方銀行でしかできないことがあります。
新たなビジネスモデルを構築していく段階であり、やりがいもあるかもしれません。
苦しい業界での経験は、絶対に自身を大きく成長させます。
ぜひ、目標を持ちがんばって下さい!
以上、信用金庫で15年働き、独立を決意した男の自分語り回でした。
最後の最後に、主観で話しているので、自分自身が美化されている可能性もあります。私は、どこにいってもくそ生意気な感じで、上からは嫌われるタイプの人間でした。つまり、全て自業自得な部分があります(笑)。
信用金庫の生き残り戦略についても真剣に考えてますので、ぜひ読んで下さい。
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